映画「デスノート the Last name」を見て、なんじゃこりゃ。今年観た映画の最悪の1本。これは小学校の学芸会か
映画館で映画を見るのがなにより好き、そして株式売買が好きという
ことで以前から映画会社の株式を所有していて株主優待券で映画を
見ることが趣味と実益を兼ねた楽しみとなっている。年間にして優待
券が100回分以上来るので家族も利用して楽しんでいる。今日もそ
の優待券を使用しての映画鑑賞。「父親たちの星条旗」を基本的には
見に行った。ただ、今月分の券が余るので興味がまったくないのだが
同じところで上映していた「デスノート the Last name」をなんと見
てしまった。そのあまりの素晴らしい出来に感動を抑えきれず、時間
の無駄を後悔すること「レディ・イン・ザ・ウォーター」並であった。
時間の無駄も良いとこで、なんとこの映画の上映時間140分ほど。始
まってすぐにもう終わらないかなと時計を幾度見たことか。前編もヒット
したとか、かなりの制作費を投入しているとか聞くが、本当なのだろう
か。客席は5分の一程度のさびしいほどの入りだったのだが。とにかく
そのチープ極まるセットや学芸会なみの稚拙な演技には見ているだけ
で哀しくなって来た。元々質感表現が駄目な日本映画だが、この映像
の深みのなさは究極だ。だいたい監督やカメラマンがまともな照明のあ
る居住空間に住んでいないから海外の撮影と同じフィルムやカメラを使
用しても深みと奥行きのある照明と構図を作り出せないのだろう。家で
は蛍光灯ばかりで生活しているからこそ日本映画では平面的な照明に
なってしまうのだろうが、その傾向がこの映画ではとりわけ極端に出てい
る。まあ、映像センスのない金子修介監督だから無い物ねだりは元か
ら出来ないが。
なんだか凄くヒットしているマンガが原作らしいがまったく読んでいない
し、映画を見るためにそれを読む気もない。だいたい漫画原作など昔
から山ほどある。スーパーマンもバットマンもそうだ。しかし、そのアメ
コミの原作を読んだことなど興味もないのでない。しかし、映画はそれ
だけでも楽しめる。動く映像、演技、音楽が入る映画は小説とも漫画
とも次元が違うのだから「読んでから見るか、見てから読むか」は意味
をなさないのだ。映画そのもので楽しめなければ意味がない。そして、
この映画に関しては前作もまったく見ていない。しかし、続編だけでも
楽しめなければそれは独立した映画として成功はしていない。だから
この映画もこの映画単独として見た。
ファウストとメフィストフェレスを下敷きにしたような天才と悪魔との話
であり、その天才が法では裁けない犯罪者に正義の鉄槌を下して行く
「狼よさらば」みたいなものだ。しかし、正義のためにそれをすると言う
のに、その制裁をするために利用するのが悪魔が落とした殺したい人
物の名前を書けば死んでしまう「デスノート」では正義そのものがなり
たたないではないか。正義のために悪魔利用では矛盾もいいとこであ
り、その基本設定だけでドラマの世界に入れない。
正義のために犯罪者を制裁しているのが天才なんだからなにも悪魔
のものを利用する必要などないだろう。天才として考えうる限りの手法
を自分で考え殺して行くことこそ天才の本道ではないか。しかも、天才
というのに殺す方法はただ拾ったノートに名前を書くだけ。ほかにはな
にもしない。そのノートを拾ったのはただの僥倖。馬鹿が拾っていても
名前を書けば殺せる訳だ。天才としてのその才能の発揮ぶりがまるで
ない。そこにサスペンスも緊張もスリルもない。そして、その天才を演
じる役者藤原竜也というのがトッちゃん坊やみたいなどこから見ても間
抜けにしか見えないのは情けない限り。とにかく基本設定にシラケ鳥
が飛び交っている。だいたい法学部に通う天才のはずだったらもう少し
天才らしい本を読んでいてくれよ。なんだいあの天才の部屋のみすぼ
らしいインテリアに天才のかけらも感じさせない普通にそこらに転がって
いるような勉強もたいしてしていないような大学生並の書棚の蔵書。そ
う言う細かい部分への気配りあってこそ全体が生きてくるんだよ金子監
督よ。
さらに笑えるのが、その天才の殺しの捜査のために国際警察から派遣
された設定になっているLとかいうこれまた天才らしい探偵なのが、訳
のわからない一見すると引きこもりの情緒不安定の変な奴。その変な
奴が一日中よほど甘いものが好きなのか始終思い切り甘味をたっぷり
効かせた気持ち悪いほど甘い菓子を食い続けている。いくら頭脳を酷使
するには糖分が大量に必要でも食い過ぎも良いとこだ。こいつが結局は
悪魔のデスノートに自らの名前を書く決死の覚悟で天才の犯罪を阻止
することで死んで行くのだが、その死も甘いものの食い過ぎでの糖尿病
か何かで死んだんじゃないのと言いたくなるお粗末さ。凄い推理能力が
あることになっているのだが、どこで推理能力を発揮したのかも定かじゃ
ないや。というよりこの役を演じた松山ケンイチにあのワンパターン演技
をさせてしまったり、全編に渡りいつもながらの棒読み演技をさせてしまう
金子監督も監督業をいい加減止めた方が良いよといいたくなる。鹿賀丈
史なんてあのオーバー演技には失笑をこらえきれなかった。鹿賀っての
は最低最悪の料理番組である料理の達人のド派手のアホ進行係のキャラ
そのままがへたくそ極まる演技しているだけの存在に成り果てている。こ
れほどの困ったちゃん俳優は希有だろう。この映画をやけに高く評価して
いる人がいるのも実に不思議だ。素晴らしい映画をほとんど見たこともな
く、フジテレビや日本テレビあたりが製作に絡んでいる映画しか見たことの
ない哀しい人たちなんだろう。でも、この程度のクズ動画で感動している
んだから実に幸せな人たちでもある。お手軽に幸せを享受できるのだか
ら。その手の人たちがきっとクズ男小泉なんてのを首相に祭り上げるこ
とに加担したんだろう。実にノーテンキな日本ではある。私は映画に点数
など付けることは基本的にはしないのだが、付けるとするとこの映画は今
年一番の駄作「レディ・イン・・」に匹敵するので10点満点で1点か。
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