クラシック音楽ファンサイト徘徊は楽しい。神の耳を持つ凄い人もいる
40年以上の趣味であるクラシック音楽鑑賞に特化して、毎日
のように聴いているクラシックレコード(CD)の自分のための
備忘録的鑑賞日記としてYahooブログで「Classical盤偏愛」な
んてブログを作ってみたら、これまであまり見ていなかったク
ラシック音楽サイト・ブログを見るようになった。
ちょっと検索してみると驚くほど多くのクラシック音楽サイトが
あるのでびっくりした。CD発売のシェアではクラシックCDな
んてほんの数%程度なんだから、クラシック音楽ファンの入れ
込み具合の深さにあきれたり、驚嘆したりで実に楽しめる。
「レコード芸術」なんかに代表される音楽業界紙に何十年も代
わり映えしないレコード会社の提灯持ち的評論もどきしか書か
ない自称音楽評論家なんか足元にも及ばないような該博な知識
を披露する頼もしいサイトがあるかと思えば、「レコード芸術」
がこれまで何回も繰り返して特集して来た名盤300選的な感
覚そのもので、通り一遍の名曲並べて、それぞれで「決定盤」
「名盤」なんてランク付けして評論家気取りの楽しい人もいる。
その人のサイトの日記みたいなのを読んでいて、思い切りずっ
こけたのがあった。題して「フルトヴェングラー研究史上最大
の衝撃!ORFEO盤バイロイトの第9」ときた。
私も愛蔵しているフルトヴェングラーの超有名な「バイロイト
の第9」に一体何事が起きたのかと読み始めた。私がこのレコ
ードを買ったのは1966年。独特のカリグラフだけで曲名と
演奏家をあしらった白地のカートンボックス入り2枚組。組み
合わせはベートーヴェンの交響曲第1番だった。指揮台へ急ぎ
足で近づいて来るフルトヴェングラーの足音がライブの雰囲気
を盛り上げていた。
このサイトの方によると、そのレコードは「半世紀もの間クラ
シック音楽界の聖書だった」となる。ここでもう引いてしまう。
ベートーヴェンの第9自体は交響曲史上では聖書的価値がある
かもしれないが、その演奏を聖書とはね。演奏なんて様々のも
のを楽しめば良いだけで、それぞれの演奏がそれを聴く人にと
って精神の糧、意志を鼓舞するものなどになれば良いだけであ
る。聖書と断定する段階でその演奏を楽しむスタンスが消えて
しまっている。
そして、何が衝撃なのかと言うと、新しく発売された同じ演奏
を収録した新発売のORFEO盤「バイロイトライブ」CDと聖書
らしいEMI盤「バイロイトの第9」を時間まで詳細に比較して、
「バイロイトの第9」が真性のライブ録音でなかったのがわか
ったというのが衝撃らしいのだ。そんなことはどうでも良いが
な。最近のライブ録音も当然編集されている訳だし、編集なん
て当たり前でしょうが。
そしてそのお方は「正真正銘ライヴではない、ということが判
明してしまった。これは確かにショックなことである。しかし、
一方でORFEO盤とEMI盤の違いがほとんどない、ということも
確かである。それは『フルトヴェングラーの偉大さの証明』が
また一つ追加されたということでもある。よってEMI盤『バイ
ロイトの第9』の歴史的価値が不滅であることには変わりはな
い。」と結論する。
この論理展開も?????である。しかもこのお方は「違いが
ほとんどない」と結論付けしながら、文中で「そのリハーサル
中心のEMI盤のほうが、ORFEO盤よりもより感動的である。こ
れは今までの常識が覆すことになる。」と書いている。これは
凄いことである。違いがない演奏を聴いて、より感動的なもの
だと違いが判るというのだから、まさしく神の耳を持つ人だ。
しかもほとんど違いがないのに、感動の差まで判るというのだ
から音楽評論家吉田秀和でも太刀打ちできないだろう。こうい
うお笑いがクラシック音楽ファンのサイトにはたくさんある。
ネット徘徊がとても楽しい。
私なんていくらフルトヴェングラーが好きでも、ベートーヴェン
の交響曲録音は基本的にスタジオ録音があれば十分で、有象無
象のライブ録音が出て来ても興味もないし、それより同じ第9
なら様々な指揮者の演奏を集めて楽しむほうが面白いタイプだ。
例えばカラヤン指揮のベートーヴェン交響曲全集にしても60
年代はじめに録音のベルリンフィルとの初録音があまりに素晴
らしくて、それ以後カラヤンが70年代と80年代に再録音し
た全集にはまるで興味も出なかったほどだしね。とにかくまあ
笑撃の記事でした。
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