加藤和彦、南田洋子と華やかな人生を送った人間の異形な死に方はさらなる寂寥感が漂う
12日から19日まで湯治旅行中のカーラジオで聞いたニュースで
なんと言っても印象的だったのが音楽家加藤和彦が自殺したこと。
宿泊先だった軽井沢のホテルで首吊り自殺だと言う。あのコミック
ソング「帰って来たヨッパライ」の作曲家であり、軽いフットワー
クでポップス、ロックの最先端を走った人物だけに自殺とはもっと
も極北の存在だと思っていたから、東北ドライブ中のラジオで聞い
た自殺のニュースには声もなかった。
自殺なんて絶対しそうにない芸能関係者が意外に自殺したりして驚
くことがある。伊丹十三、フランク永井(未遂だったが、事件以後
が悲惨だった)などユーモア感覚溢れる人物で自殺などあり得ない
と思っていた。実はこの二人はインタビュー取材もしているので、
その思いは余計強かった。
その思いは加藤和彦はなおさらだ。実は実家のある京都での高校時
代、「帰って来たヨッパライ」がヒットしていた頃、学校へ通うバ
スの中で加藤和彦と遭遇している。加藤和彦は通学していた龍谷大
学に行く途中だったようだ。当然のことに、1ファンとして憧れの
眼差しで見ていただけだが。しかし、その後、加藤和彦には2回も
インタビュー取材して、そのバスで遭遇の話をして盛り上がったこ
ともあった。
葬儀では遺体は花に囲まれて、書き残した遺書が置かれ参列者に読
まれるように飾ってあったそうで、「これまでに自分は数多くの音
楽作品を残してきた。だが、今の世の中には本当に音楽が必要なの
だろうか。『死にたい』というより『生きていたくない』。消えた
い」との趣旨が書かれていたそうだ。鬱で通院していたようだし、
創作への行き詰まりがあったのかな。生きることの切なさを感じる
のみ。
また、南田洋子の場合は若いころの美貌、いつもスッキリと決めて
いた短髪のヘアースタイルなどセンスの良さがあった女優(女優と
しては特別優れた映画があった訳ではないが)だけ、以前にテレビ
で認知症になって夫の長門裕之に介護されるドキュメントが放送さ
れた時には唖然としたものだ。あれはいくらんなんでもやりすぎで
はなかったのか。認知症で判断の出来ない南田洋子本人が取材・放
送を許可したとはとても思えない訳だ。病気で衰えた容姿など女優
としては絶対に公に晒したくなかったはず。長門とテレビ局の精神
構造に疑問だらけだった。それだけに今回のくも膜下出血での死亡
はなおさらに寂寥感があるのだ。お二人に合掌。
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