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2011年7月 9日 (土)

東電原発事故前までは家族揃って幸せに暮らしていた南相馬市の93歳のおばあちゃんが「お墓にひなんしますごめんなさい」と自殺せざるを得なかった悲劇。東電の犯罪の重さの象徴のようだ

東京も毎日うだるような暑さでゲンナリだが、震災、とりわけ東
電原発事故により理不尽に住み慣れた土地そして家を捨てて避難
生活を余儀なくされている人々の苦しみはいかばかりか想像も出
来ないほどだ。また、東電原発事故の現場で防護服を着て死ぬよ
うな暑さに耐えて必死で作業をしている人たち。

なのにその東電原発事故なる殺人罪以上の重犯罪を犯した東電の
連中、保安院などの官僚連中、原発利権に乗って原発を推進して
来た自民クサレ党のクソどもは国民には節電脅迫をしながら冷房
効いた場所で左団扇なんだろう。なにしろ仮病で病院に逃避した
東電の前社長清水なんてゴロツキは莫大な退職金を「俺様にも老
後はある」とのうのうとほざいて頂戴する奴だ。なのに自分たち
の犯罪で生活・財産を破壊した人間たちには補償する気もなく、
政府に税金で補償するのが筋だとかかましている訳だ。東電は解
体して処分出来る資産すべてを投入(当然のことだが、現職員の
退職金もゼロ、税金そのもののような高額な企業年金もすべてゼ
ロにして補償に充てる。東電の犯罪責任は歴代の幹部だけではな
くすべての歴代社員すべてにある)して補償に充てるのが本筋な
のだが、愚鈍なアホカン政権はその決断も出来ず、いまだ脱原発
路線も取れないヘタレな訳だ。

そんななか、毎日新聞の記事(岸井のようなクズもいるがこのよ
うな記事を出すこともまだできる)は東電の犯罪がいかに重いか
の象徴のようだ。
◆◆◆◆◆◆◆
東日本大震災:お墓にひなんします 南相馬の93歳自殺

2011年7月9日 2時32分 更新:7月9日 11時39分

 「私はお墓にひなんします ごめんなさい」。福島県南相馬市の緊急時避難準備区域に住む93歳の女性が6月下旬、こう書き残し、自宅で自ら命を絶った。東京電力福島第1原発事故のために一時は家族や故郷と離れて暮らすことになり、原発事故の収束を悲観したすえのことだった。遺書には「老人は(避難の)あしでまといになる」ともあった。

 女性は同市原町区の静かな水田地帯で代々続く田畑を守り、震災時は長男(72)と妻(71)、孫2人の5人で暮らしていた。長男によると、以前から足が弱って手押し車を押していたが、家事は何でもこなし、日記もつけていた。

 第1原発の2度の爆発後、近隣住民は次々と避難を始めた。一家も3月17日、原発から約22キロの自宅を離れ、相馬市の次女の嫁ぎ先へ身を寄せた。翌日、さらに遠くへ逃げるよう南相馬市が大型バスを用意し、長男夫婦と孫は群馬県片品村の民宿へ。長距離の移動や避難生活を考え、長男は「ばあちゃんは無理だ」と思った。女性だけが次女の嫁ぎ先に残ることになった。

 4月後半、女性は体調を崩して2週間入院。退院後も「家に帰りたい」と繰り返し、5月3日、南相馬の自宅に戻った。群馬に避難している長男にたびたび電話しては「早く帰ってこお(来い)」と寂しさを訴えていたという。

 長男たちが自宅に戻ったのは6月6日。到着は深夜だったが、起きていて玄関先でうれしそうに出迎えた。だが緊急時避難準備区域は、原発事故が再び深刻化すればすぐ逃げなければならない。長男夫婦が「また避難するかもしれない。今度は一緒に行こう」と言うと、女性は言葉少なだった。「今振り返れば、思い詰めていたのかもしれない」と長男は話す。

 住み慣れた家で、一家そろっての生活に戻った約2週間後の22日。女性が庭で首をつっているのを妻が見つけ、長男が助け起こしたが手遅れだった。

 自宅から4通の遺書が見つかった。家族、先祖、近所の親しい人に宛て、市販の便箋にボールペンで書かれていた。家族には「毎日原発のことばかりでいきたここちしません」。先立った両親には「こんなことをして子供達や孫達、しんるいのはじさらしとおもいますが いまの世の中でわ(は)しかたない」とわびていた。

 奥の間に置かれた女性の遺影は穏やかに笑っている。近所の人たちが毎日のように訪ねてきて手を合わせる。「長寿をお祝いされるようなおばあちゃんが、なぜこんな目に遭わなければならないのですか……」。遺書の宛名に名前のあった知人が声を詰まらせた。葬儀で読経した曹洞宗岩屋(がんおく)寺前住職、星見全英さん(74)は「避難先で朝目覚め、天井が違うだけで落ち込む人もいる。高齢者にとって避難がどれほどつらいか」と心中を察する。

 取材の最後、長男夫婦が記者に言った。「おばあちゃんが自ら命を絶った意味を、しっかりと伝えてください」【神保圭作、井上英介】

 ◇女性が家族に宛てた遺書の全文
(原文のまま。人名は伏せています)

 このたび3月11日のじしんとつなみでたいへんなのに 原発事故でちかくの人達がひなんめいれいで 3月18日家のかぞくも群馬の方につれてゆかれました 私は相馬市の娘○○(名前)いるので3月17日にひなんさせられました たいちょうくずし入院させられてけんこうになり2ケ月位せわになり 5月3日家に帰った ひとりで一ケ月位いた 毎日テレビで原発のニュースみてるといつよくなるかわからないやうだ またひなんするやうになったら老人はあしでまといになるから 家の家ぞくは6月6日に帰ってきましたので私も安心しました 毎日原発のことばかりでいきたここちしません こうするよりしかたありません さようなら 私はお墓にひなんします ごめんなさい
◆◆◆◆◆◆◆
東電原発事故の前までは家族揃って生まれ育った場所で幸せに暮
らしていたおばあちゃんの苦しみが涙を誘う。幸せだった90歳
過ぎのおばあちゃんが自殺せざるを得なかった無念と不条理。東
電の犯罪の凄まじさ。なのにコイツラゴロツキは会見を見ていて
も判るようにまるで他人事のような対応を震災発生以来している。
自分たちの犯した罪の重さをまるで自覚していないのだ。

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コメント

はじめまして。関西兵庫県の者です。
私事、でしゃばりかもしれませんが
東電原発事故前までは家族揃って幸せに暮らしていた南相馬市の93歳のおばあちゃんが「お墓にひなんしますごめんなさい」と自殺したとの事 たまりません! もっと大々的に世にこの事を広めてください。
この現状を、辛かったと思います 寂しかったと思います
なすすべもなく、平和に暮らしておられた家族が、地獄に落とし入れられ 何の罪もないお年寄りが、迷惑かかると自ら命を絶たれる! 東電、政府も茶番劇ばかり対岸の火事!
まだまだた多くの人が、この様な悲劇の中にいらっしゃると思います。
全ての対応が、もたもたしすぎ遅すぎる! 私のばあちゃんも、6月11日 97歳で家族の見守る中、玄孫にも!見守られ旅立って行きました。
大正、昭和、平成と戦争を経験され 歴史と経験のある先輩でもあります。
腹が立ってしょうがありません!無念だったと・・・
どうか、南相馬のおばあちゃん!安らかにお眠り下さい。

投稿: タクミ | 2011年7月 9日 (土) 13時50分

おばあちゃんの遺書全文ありがとうございます。
この文を書く時の気持ちを察すると本当に涙が出ます。
国会で誰か読んでくれないでしょうか、まぁ読んでも涙を落とす議員などほんのわずかなものでしょうが、あまりに歯がゆい思いです。

 東電も含め、歴代の原発推進政党、(元)議員達はあまりに罪の意識がなさすぎで断罪しなければと、改めて思いなします。
東電どころか電力会社全般似たような体質と分かった今、日本全国節電も必要も無しでしょう、停電などと寝言を言ったら”何を言ってるか!”と消費者の方が怒ってよい話ですね。

投稿: 京 | 2011年7月 9日 (土) 14時57分

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