8月初めに入院しての頸椎症性脊髄症(頸椎の脊柱管狭窄症)の
手術も無事終了して、約2週間の入院をして2日前にようやく退
院出来た。
8年前に胸椎症性脊髄症(胸髄症)で背中中央を大きく切り開いて、
補強でチタンの金属を数本挿入する大手術をしているのだが、そ
の時から頸椎と腰椎の脊柱管狭窄症はあり(入院中のリハビリで
理学療法士から脊椎の頸椎、胸椎、腰椎の3カ所全てが悪い人は
めったにいないし、胸椎の手術は少なく、胸椎と頸椎の手術した
人は初めてと言われてしまった)、悪化すれば手術と言われて来
たのだが首の手術と言うのは恐怖感が強く、なかなか決断出来な
かった。
(8年前の胸椎の手術は胸髄症というもので、かなりまれな病気
らしい。その手術以前10年ほど前から整形外科には通っていた
のだが,足の跛行などは腰椎の症状から来るとどの先生も言って
いたんだが、もちろん腰椎も悪かったのだが,その元凶は胸椎の
脊髄圧迫で、その診断は相当に難しいらしい。今回の頸椎の手術
をしてくれた先生に8年前の手術直前にたまたま診察してもらっ
ていなかったら胸髄症は発見されなくて,今頃は下半身マヒで車
椅子生活100%だったのだ。この先生は診察してすぐに腰椎で
はなく、胸椎が重態状態なので,即入院即手術だと宣告。手術し
ないと下半身完全マヒとも。その時はもう恐怖でビビってしまっ
た。しかし、手術を受け入れざるを得ないよね。即入院して3日
間ほどはMRIやCTなど山のような検査をし、4日目に手術。初め
ての全身麻酔。術後目覚めてからしばらくは手術痕が強烈な痛み。
しかし、手術前の脚の痛みや跛行は完全に消失、しかも20代の
若い時から肩甲骨の内側が常に圧迫されるような不快感と痛みが
あったのだが,それが完全消滅。手術痕の痛みが消えたあとなど
はスッキリと気持ち良い感覚に。まあ,その後当時からあった頸
椎と腰椎の症状が悪化して来て,今回のまずは頸椎の手術とはな
ったのだが。とにかく胸髄症は発見しにくいようだから,肩甲骨
の内側の持続的痛みなどあれば疑ってみることも)
しかし、最近は脚・足のシビレもキツくなって来たし、筋肉に脳
からの指令が行きにくくなっているのか、とくに左手の筋肉劣化
が激しく親指と人差し指の間の根元の筋肉などやせ細っているし、
両腕にズキズキする痛みが走ることが多くなり、そろそろ手術し
たほうが良いということでついに手術の決断。
それにしても厭だよね、首の後ろに縦に10センチ以上の長さに
渡ってメスを入れるなんて。現在はCTやMRIが整備されて、脊髄
神経がどのように圧迫されているかが明瞭明確に把握出来て、技
術も進化しているからまあ安心出来る手術ではあるんだろうが、
昔はレントゲンと造影剤撮影で手術をしていたんだから、頸椎の
手術はかなり難しい危険度も高いものだったらしい。
8年前の胸椎手術も難しかったようだが、車椅子生活になる可能
性大のかなり重態状態の手術で普通に歩け、長距離ドライブでも
大丈夫な身体にしてくれた先生だし、もう信頼して任せるしかな
いよね。ちなみに手術したのは東京足立区にある12年2月にオ
ープンしたばかりの米倉脊椎・関節病院の米倉徹先生。
7月末に検査入院しているので、手術は入院翌日の午前9時から
早速決行。入院当日には麻酔担当の医師から説明を受けたり手術
への覚悟。夕食を取ったあとは午後9時から翌日の手術までは食
べ物一切禁止で、手術日の朝7時までは水は摂取出来るが、早朝
には浣腸を看護婦さんが強制的にする。
8年前の手術時には病室から点滴をしながらストレッチャーに横
たわって手術室に運ばれたが、今回は弾性ストッキングをはいて、
術着に着替えて、ブラブラ歩いて病室から手術室へ移動。手術室
に入ると手術着姿の看護婦さんが数人お出迎えで、まずは名前と
誕生日、手術個所を質問されて、オペ室へ。かなり広い部屋で手
術用の台やその上の煌々と光るはずの手術用照明を見たりしてい
るとそれだけでもう心臓パクパク状態。
手術台横にある小さめのベッドに横たわるように言われ、諦めて
覚悟するだけ。すぐに麻酔をかけますよと言われたが、覚えてい
たのはそこから2〜3秒で即意識喪失。
目が覚めたら、病室のベッドの上にいた。左腕には点滴類が、左
指には酸素計測具、口には酸素マスク、そしてウロパックに繋が
っての尿カテーテル(これがなんとも違和感ありまくりで嫌なん
だよな。しかし身体動けないし仕方ない)、手術痕には血腫を防
ぐための血抜きドレン、足にはエコノミー症候群を防ぐためにポ
ンピングのブーツと体中にいろいろと付けられている。
前回の手術時には大きく切ったわりには緊急用に準備した輸血用
血液は使用しなかったが、今回は場所的要素もあり、出血量が1
000cc弱もあり(ヨメさんに言わすと、手術開始後5時間ちょ
っとあとに部屋に戻って来たときは顔面蒼白だったとか。貧血気
味になったようだ)、部屋に戻ってから結局3パックの血液を輸
血することに。生まれて初めて他人の血液が点滴類と混じって血
管に入って行くのを見るのはなんとも言えぬ気分に。
2日後には血抜きドレン、尿カテーテルが取れ、3日後には点滴
用針、ポンピングブーツも取れてスッキリ気分に。尿カテーテル
が取れて2日間ほどは溲瓶で尿をしていたが、前回の入院時もそ
の溲瓶の処理をテキパキとしてくれた看護婦さんには感謝するだ
け。
そのほかいろいろと優しく世話してくれる看護婦(看護師と言う言
い方には抵抗感あり)さんは本当に白衣(カラフルな制服で白衣じ
ゃないけどね)の天使だ。
食事は手術の翌朝から取るのだが、翌日だけは食欲全く湧かなか
った。味付けなどかなり美味しかったんだけどね。食事をとるよ
うになってから困ったのがお通じ。痛めつけられていた神経がま
だ巧く機能しないのか、便通をなかなか催さないのだ。仕方ない
ので座薬を使用して強制排便。これだけがいまだに少し調子悪い。
8年前の手術時には丸1ヶ月の入院だったが、今回は2週間。思
った以上に早い退院となった。入院中はテレビをいっさい見ずに
(横になっているし、眼鏡かけないとダメだしで見る気起きず)、
ラジオをたまに聞いた程度。読書をしようと持ち込んだ本も首に
カラーを巻いているので読むのが異常に疲れて結局断念。DAPで
音楽を聴く程度がせいぜいでとにかくすぐに眠ってしまうのだ。
あとは看護婦さんや理学療法士さんらとの会話が一番の楽しみだ
った。
退院しても、まだ元の状態にはほど遠く、パソコンでネットする
のも疲れてしまって、すぐに横になってしまう。この短い記事を
書くのもまだキーボードを打つ感覚があやふやで時間がかかるこ
と。
ちょっとグロ映像だが、抜糸(現在は糸は使用せずにホチキスで
傷痕を留めているので抜鉤と言う)するちょっと前に看護婦さん
に撮影してもらったホチキス留めされた手術痕を写真でどうぞ。
首にホチキスが9本ほど刺さっているのだが、とくに痛くもなく、
抜鉤する時も全く痛みも感じないのは実に不思議。手術は脊髄神
経が通る脊椎を広げて圧迫を取る頸椎椎弓形成術で、脊椎を割っ
て削ってとからしく、人工骨が2個嵌められたとか。背中の数本
のチタンに首の人工骨とまるでサイボーグみたいだね。

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