熱中症らしきものに初めてなり、嘔吐までしてしまった。ところで、NHKが初代宮内庁長官田島のヒロヒトとの対話記録を入手、報道したそうなんだが、どう読んでも、ヒロヒトの弁解、言い訳、戦争責任逃れを、資料から適当に選んで、国民の敵NHKが体のいい国民洗脳に励んでいるとしか感じない
先週16日のブログ記事で、熱中症で入院した人の体験談の話を取り上げたんだが、そんなことを取り上げたせいかどうか、自分自身が3日前に熱中症と思われる状態になってしまった。自分の部屋にはエアコンが設置されていないので、就寝時に暑いときには東西の窓を開けて網戸状態にして、扇風機をかけているんだが、家を新築した1983年以来、扇風機をかけ続けて寝るなんてのは数回しかなかったんだが、今年は8月になってから毎日で、その日も普通に起床したんだが、しばらくすると体が異常にだるくなり、めまいがするような感じに。エアコンが効いている居間で横なっていたんだが、さらに気分が悪くなり、吐き気がして、実に久しぶりに嘔吐してしまった。嘔吐の量は朝食を食べていなかったので、コップ1杯程度の水分ばかり。しばらく横になっているとようやく吐き気も体の怠さも収まった。こんなに気分が悪くなるとはね、暑さはもともと苦手なんだが、ほんま気をつけなくちゃな。というわけで、株式の方は下落ばかりで面白くもないし、散々な酷暑ではある。
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昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる
中田絢子、北野隆一 2019年8月19日22時09分
終戦後に宮内庁の初代長官を務めた故・田島道治(みちじ)(1885~1968)が、昭和天皇との約600回に及ぶ面会でのやりとりを詳述した文書を残していたことがわかった。遺族から入手したNHKが19日、一部を報道各社に公開した。昭和天皇が国民に向けたおことばで戦争への「反省」を表明しようとこだわったことや、改憲による再軍備の必要性に言及していたことなどが記されている。
この文書は、1948(昭和23)年に宮内庁(当時は宮内府)長官に任命された田島が、翌49年2月から退官した53年12月にかけて昭和天皇とのやりとりを記した手帳やノート計18冊。全体は公開されず、NHKが報道し、遺族の同意を得た部分のみを抜粋して公開した。一部には「拝謁(はいえつ)記」と記されている。
田島が残した文書としては、2000年代以降、ノンフィクション作家の加藤恭子氏が遺族から日記など資料の提供を受け、著書で発表するなど先行研究がある。今回見つかったのはこれらの資料とは別のものだが、内容に重複があり、昭和天皇の言葉が一問一答に近い形で詳しく明らかにされた点が特徴だ。宮内庁編修の昭和天皇実録に記載されていない内容も含まれている。
例えば、サンフランシスコ講和条約発効と憲法施行5周年を祝う52(昭和27)年5月3日の式典に向け、昭和天皇は田島に「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」(52年1月11日)などと強くこだわった。おことばの草稿に戦争を悔やむ一節が挿入された後、吉田茂首相らの反対で削除されたやりとりも、先行研究より詳細に明らかにされた。
さらに、当時、昭和天皇が「今となつては他の改正ハ一切ふれずに軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいゝ様ニ思ふ」(52年2月11日)と述べるなど、憲法改正による再軍備にたびたび言及していたことも初めてわかった。東西冷戦が続く中、自衛隊は発足しておらず、52年に前身の警察予備隊が保安隊に改組された。(中田絢子、北野隆一)
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たじま・みちじ 名古屋市生まれ。東京帝国大学法科大学卒業、戦前は後藤新平・鉄道院総裁秘書や昭和銀行頭取などを歴任。戦後は大日本育英会会長や貴族院議員を経て1948~53年に宮内府(宮内庁)長官。退官後は日本銀行監事、ソニー会長などを務める。
田島道治の文書全体を確認した古川隆久・日本大教授(日本近現代史)の話
新憲法下での歩みが始まったばかりの時期に、約5年という長期にわたって昭和天皇の言葉を記録した初めての資料であり、今後の昭和天皇研究の基本的な資料の一つとなる重要なものだ。
昭和天皇が改憲による再軍備に言及したことについては、9条のもとでは自衛隊のような組織も持つことができないと考えられていた時代の発言で、防衛力は最低限必要だという考えを示したに過ぎない。他の記述から、昭和天皇は戦前に戻すつもりは全くなかったことがわかる。
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朝日によると、田島が残した文書は、ノンフィクション作家加藤恭子が遺族から日記などの提供を受け、著書で発表しているそうで、ことさら新規資料というわけでもないのかな。皆様の敵・アベデンデン広報機関NHKが16日からニュース枠でこの記録文書を「拝謁記」として取り上げて流しているそうなんだが、その放送は見ていないのだが、NHKサイトにその文書の特設ページがあって、かなり詳細な内容が読める。それらを読む限りは、つまりはヒロヒトの弁解、言い訳、戦争責任逃れを、資料から適当に選んで、国民の敵NHKが体のいい国民洗脳に励んでいるってことでいいのかなという感想しかない。
特設ページは「戦争への悔恨」「退位への言及」「象徴への模索」「再軍備・改憲」「人物評」になり、それぞれがさらに詳細になっている。それらを読んでみると、ヒロヒト本人は戦争を意図していなかったが、軍部が下剋上で勝手にやった。国民の前で「反省」なる言葉を話したかったが、吉田茂首の反対でできなかった。「象徴」になったのでそう変わろうと努めた。「侵略者(ソ連)」がいる以上、「改憲」「再軍備」の必要がある、と吉田首相に言いたかったが、憲法上言わなかった。「国民が求めるなら退位躊躇せぬ」とも。基地反対闘争に批判的見解も発し、米軍基地は「已むを得ぬ現状」とも。等々。まあ、会見でニヤニヤしながら原爆を落とされたのも「やむを得ないこと」と吐いたヒロヒトだもんね。
さらに、11歳の時に軍に任官したつらい経験から、皇太子だった上皇の軍への任官を遅らせたとも。これについては、専門家が「青年将校への不信感や皇太子の教育に悪影響を及ぼすおそれを感じ、できるだけ任官を遅らせて軍部や青年将校から皇太子を守りたいという考えがかなり強かったのだろう」とするが、これなんてNHKの放送では親心の現れなんて肯定的に流したようだが、国民はヒロヒトの命令のもと軍部が発した赤紙一枚で徴兵召集され、ほとんどが餓死や特攻のような無駄死にしていったのに、なんともふざけきった親心やな。一般国民には死んでくれるなという悲しい親心さえ認めず、玉砕を強制した軍部の総司令官だったのがヒロヒトなのにね。やはり、戦争責任を軍部、官僚など全てにきちんと全うさせなかったつけが、官僚の中でも最高の戦争責任者であった岸信介なる戦犯クズがのうのうと生き延び、その末裔アベデンデンが、国民を貧乏にし不幸にして、さらに憲法破壊して戦争に駆り出して、さらなる日本破壊をしまくる結果になったわけだしな。日本ってのは、ほんま責任ある人間が全く責任を取ることがない愚劣の極みの社会が延々と続いているってことやな。
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